令和元年7月2日

(見出し)

私の特徴は老け込んでいないことです。

 

(本文)

年齢は誕生日ごとに増えてます。

身体も変化悪化は日常的にも経時的にも起こりますが 改善  良化も起こります。

 

老け込むことは 心が先導しますね。

背が丸ーまったり 声が掠れて出にくくなったり 歩幅が狭くなったりするのは 心が老け込むから起こる身体現象だと気がつきました。

 

大きな変化に先行して わずかな身体変化がまず起こります。

読み物するのに背を屈めたり 喉がいがらっぽく話しづらかったり めまいなどで歩きが不安定になったり そしてそれがきっかけで 自らその自覚症状に対して老人らしく振る舞おうとすることで 老け込んだ身体習慣が身につきます。

 

年だからかなぁという思いが 老人らしく振舞って 周りに尊重してもらおうなどという 老いの不自由をアピールする振る舞いに出たりするのです。

 

きっかけが何であれ 心が 老人らしく と思った時から 身体は素直に老人らしくなって行きます。実年齢とは さほど関係しないようです。

 

きっかけに気づき 身体に起こっている問題を解消してしまおうと 心に決める時に 既に老け込みは消え始めます。

 

世の中は 老け込み暗示に満ち満ちているのです。 

テレビ新聞にも ウェブにも 隣近所にも 老化や高齢社会の俄か先生が沢山顔を出して来ます。隙を見せると 歳ですからとか 無理をしないでとか 年相応にとか エイジング現象について 科学的にも 哲学的にも 思慮なく御託宣する 俄か先生に引っかかってしまう罠があふれています。

マスメディアでも ネットでも  小人数の集まりでも 俄か先生は登場します。

 

医療という実在的世界では 原因の良く分からない症状には 本態性 という形容詞を使います。無知を肯定的に隠すための用語です。

本態性というと 未だ原因が解明出来てない身体症状の意味になります。

 

もっと実用的で 一般的に通用する便利な言葉が 老化 ですね。

老化 なる用語は衒学的な響きがあります。定義なき日常用語なので 勿体ぶって言えば それなりに説得力があります。しかし 本態性と同様に 科学的にも 実際的にも対処対策が確立してない経時的変化のことしか意味しません。重力や酸化 放射線被曝 代謝酵素の失活などによる生理的適応として説明可能な不可逆的変化と表現は出来ても では 生物としての対応策が応用出来ないのかは未知の領域です。

 

細胞一つづつは 代謝能力が衰えると 新生細胞に置き換わり  廃棄或いは分解 再利用される過程に入ります。細胞内小器官も同様であり 生理分子としての蛋白質からペプチド RNAに至るまでの高分子も同様の現象を起こしています。そのために 生物体内 細胞内外の水中には無数の要素素材が水和充満していて 必要に応じて交換に対応します。生命維持のシステムです。

 

老化という文学的表現は 生命個体が この若返りという代謝メカニズムを総体としては維持しきれなくなった時点での適応メカニズムとして部分放置する仕組みであり 再逆転手段が効率的に活用できれば 代謝は再開されます。

 

皮膚細胞群が目立って分かりやすい例示になるでしょう。垢 フケ カサブタなどのように新しい細胞と交代して脱落するメカニズムで活性を維持する方法です。

体毛の抜け替わりも同様です。

中には卵子のように 始めに分裂新生が限定されている細胞群もあります。

これは個体数の増加が生態系に影響しないようにする仕組みかもしれません。

 

科学技術の進歩が 従来の不可逆的な老化と思われていた現象を解消してしまう事態も起こり始めています。

生来の代謝能劣化現象を食い止め逆転することが倫理的にどこまで適正で容認できるかは充分な検討検証が必要だと思います。

 

科学技術という他力を借りなくても 自力で活性を維持向上する方法もあります。

こちらは生命的な原理原則に従っているので 反自然行為ではないでしょう。

 

しかし 実際の現象は事情が違うんですね。

症状には 全て原因があり 必ず対処法があります。でも 対症療法にも 手間と時間がかかります。その手間に満足しないものを手早く納得させるには 老化 という呪文が効くのです。

 

その呪文は 効果的に身体を歪めて行きます。

 

肌の張りを失うのも 筋力を失うのも 滑舌が悪くなるのも 消化不良や失禁さへ 強烈な自己暗示呪文の 老化 というマントラが引き起こしますよね。

 

振り込み詐欺の電話と同じく 老化 の呪文に騙されないようにしましょう。

 

貴方もそんなに老け込む必要はないからです。

 

老いは 熟成なんです。

経験の深さと 積み重ねてきた思慮により 分厚い知恵が味方になります。

 

味蕾細胞の分布変化で 味覚嗜好は変化します。これも 進化で獲得してきた 先天的知恵の現象だと知った方が賢明でしょう。老化 の呪文に騙されないようにすることです。

味覚は 先天的には 年代に適した代謝に釣り合う食品を美味に感じるように与えられています。

酢の物が美味しく感じる年頃や苦味がしっくりくる年頃の代謝事情が身体は知っており味覚も知ってるのです。けして 老化で退化してはおりません。例えば 旨味を感じる味覚細胞の発達は甘味より遅れます。

 

しかし 身体の普遍的原則もあります。運動習慣を失った筋肉は退化します。学生スポーツマンが3週間安静に臥褥すれば 立ち上がることもふらつくようになるのは高齢者も同様です。

背筋を丸める習慣は小学生にも 初老期男女にも 等しく猫背を作ります。

 

関節可動域の確保や 適当な筋肉使用は 15歳にも 85歳にも必要です。

呼吸 給水 睡眠などの習慣化は健康維持に必要なインテリジェンスです。食材や調理法は 衛生管理 衣や住の管理同様 意識化されると健常生活維持に役立ちます。

 

精神生活を意識的に健常に保つインテリジェンスが 優先します。

 

笑顔と感謝がベースであり 言葉と感受性の豊かさが増幅要素になります。

 

老いという加齢は 豊かさをもたらします。

失われるものには惜別を 与えられるものには感謝を そして  見聞きし 味わえる美しさには感動を 豊かに受け止めて豊かに表現する喜びがあります。

 

老化とは 老化を吟味して味わって思考し 厳密な分析的思索で原因現象の因果関係を検討して 社会的に洞察する哲学的判断をした者にしか説明できない現象であり 呪文用語にしてはならない単語なんです。

 

 

老い 春の朝の弱いけれど爽やかな朝日に 俯いて静かに白く清らかにいのちの輝きを示す 山桜の美しさを感じる力のことです。

 

 

令和元年6月10日

 

序文

 

何人かの方には周知のことですが、2017年夏の私ごとをカミングアウトします。コレは、別のところでも並行してご案内してます。

2017年7月20日に、私は、お茶の水女子大学で主宰した勉強会の終了後に茗荷谷駅前での打ち上げ食事会の席に急いでおり、背広姿で着席すると同時に転倒しました。20時半頃です。

心室細動による心停止と、酸素の行かなくなった脳活動の停止の為に神経支配を失った筋肉活動=呼吸の停止、いわゆる心肺停止ゆえの転倒でした。

今もその前に遡り数時間前からの記憶はありません。

その後の20日間ほどの記憶もありません。意識喪失でCCU救命救急病棟のベッドで重体患者として過ごしてます。

従って、本人は痛くも苦しくも無く過ごしてました。

8月半ばに意識回復してから聞いたとこでは、同席していた医師たちが、直ちに心臓マッサージとマウストウマウスの人工呼吸をしてくれ、AEDを取り寄せ使用して、救急車を呼び高度救命救急センターに搬入し、そこでは直ちに心臓カテーテルで閉塞していた冠動脈にステントを設置して、心室の拍動と血流を回復した上で、発作から四時間後には先端医療システムにより、直接血液温度を34度まで下げて機械的に維持管理を続ける低体温療法を開始、同時に機械的呼吸による酸素供給と、動脈点滴による鎮静剤、鎮痛剤、筋弛緩剤、強力な抗生剤の注入、導尿、経管栄養の機械的管理および全身の体温モニター、脳波や心電図などのモニターによる24時間厳重監視という「完全なチューブ人間」として、生命維持と予後の後遺症予防措置を、手際よく手厚くしていただいたようです。

意識回復してチューブが減って行き8月半ば過ぎになり、回復期病棟に移動した頃からの記憶は私にも断続的にはあります。

その頃には、リハビリ訓練も始まりました。そして、9月上旬に循環器内科専門医が居て、リハビリ専門病棟のある、自宅近くの総合病院に転院して、8週間のリハビリ訓練を受け、10月末に自主的退院をしました。

11月以降は、リハビリ専門病院に週3日通院し、週2日はリハビリ養生のためにキネシオ接骨院に通っています。
毎週日曜日には、護国寺行修会にも参加してます。

要するに、血液循環は、ほぼ回復して体力も回復し、元々あった半身麻痺は、集中リハビリでむしろ改善が加速したという一面もあります。

多くの人の献身的なご尽力や医療システムの恩恵を享け、生き続けることが出来ています。

そこで、生きることの意味合いと、死ぬことの体験を振り返りながら検討して、更に生き続けることについて考えてみたくなり、こちらにカミングアウトさせていただきました。


実は、こちらの世界で自分に残っている記憶は、日本医科大学付属病院CCM=救命救急科での3週間が過ぎ、循環器病棟でのリハビリ訓練を受け始めて以降のものしか無いのですが、意識喪失中の3週間に関しては、あちらの世界での生活記憶が極めて鮮明に、リアルに、詳細に残っています。

一つづつの生活記憶は、数時間以上に及ぶ1日ごとの体験として残っており、私の主観記憶でありながら、その世界での生活環境や、人間模様は、登場人物相互の深層心理も含めて、まるで小説のように込み入ったものでした。

9月下旬になってから、リハビリ専門病棟で備忘録として書いたメモに頼りながら、あちらの世界の記憶をこれ以降の稿でお伝えして行きたいと思います。

お伝えするのは私の記憶ですが、内容の解釈は、皆さまの見識をいただく方が、深く理解できるかと思うからです。


此処までが前置きです。
説明不足感があるかもしれません。
この話題に対する意見、異見や質問、疑問点を、先ずお寄せください。できる限りで、私の理解内容をお伝えします。

改めて  意識喪失の瞬間からの20日間ほどは、応急処置と救命救急システムや先進医療にタイミングよく、適切に救われた極めてレアケースと関係当事者たちからも指摘されてます。
応急処置の出来た方々が現場に揃っていたこと、AEDや救急車手配の迅速な対応、都内に四ヶ所だけの低体温療法システムを採用している日本医大病院を医師たちが強く指名指定したこと、CCUスタッフの迅速な適切な措置などのどれが欠けても、また、発症のタイミングがずれていても、あちらの世界から戻ってこれることはなかったのでしょうね。

そして、次から述べる経験話も出来なかったのですね。
生死は僅かな綾で決まりますね。
だからこそ、皆さまには、備えを確かにされて欲しいと思います。

私が倒れた日も暑かったのです。